次男が不登校になりまして⑯

不登校関連

次男が長男に対して暴力をふるうことが増えた。

不安定な状態の次男は、手加減せずに長男を殴ったり、物をぶつけたりした。

長男は、どれだけ殴られても、いつも泣きながら耐えていた。

長男も、次男が心身ともに弱っていることを知っていた。

だからと言って、長男が一方的に殴られるのを黙って見ている訳にはいかなかった。

長男に遠方の高専を勧める

長男は、元々ロボットやロケットや機械関連が好きだった。

小学生の頃には、自ら新聞に載っていた「ロボット博」の広告を見つけて「行きたい!!」と言い出し、連れて行ったことがある。

航空関連の博物館も大好きで、何度も連れて行った。

長男はマイペースで、1人でいても平気なタイプ。

時間があれば、中学で配布されていたタブレットでプログラミングをしたり、ゲームをしているような子だった。

それゆえ、普通高校に行くよりも、高専に行く方が向いていると以前から思っていた。

長男には、地元の高専の受験を勧めるつもりでいたが・・・次男と引き離す意味も込めて、遠方の高専進学について話してみた。

すると、あっさり「行ってみたい」と長男は言う。

「誰も自分を知らない場所で生活してみたい」と長男は言った。

長男は、新天地での生活と勉強を望んだ。

それから、色んな高専について情報収集をした。

遠方まで、KOSEN FESやオープンキャンパスに出かける多忙な日々だったが、楽しかった。

そして、長男と話し合って希望の高専を決めた。

推薦試験を受けて合格して、遥か遠くの地への進学が決まった。

長男の人生の大きな一歩だった。

当時の私の生活は

中学時代、次男は不登校がちで、自宅にいることが多かった。

私は当時仕事をしていたが、シフト制の仕事の為、平日にも休日があった。

その休日は、次男と一緒に自宅にいることが多くて辛かった。

何をきっかけに怒りだすか分からない。

いつ自傷行為が起きるか分からない。

突然泣き出したり

「死にたい、なんで俺を産んだの?俺なんて生まれてこなければよかったのに」

と私に責めるように言い続けることもあった。

私に暴力をふるうこともあった。

・・・休日は、私にとっては休日ではなかった。

全く休まらなかった、心身ともに。

仕事に出ていた方が、気楽な日々だった。

本当は・・・

当時の私にとっての癒しと救いは・・・長男だけだった。

私は、いつも夕方になると、長男が帰宅するのを心待ちにして、玄関付近をウロウロしていた。

「早く帰ってこないかなぁ」と長男を待ちわびていた。

そんな生活だったのに、私は長男と離れて暮らす生活を選択しても大丈夫だろうか。

私こそ、耐えられるのだろうか、と立ち止まることもあった。

本当は、長男と離れたくなかった。

ずっと一緒に楽しく過ごしたかった。

すぐ近くで、長男の成長を見守りたかった。

でも、きっと大丈夫。

これがみんなにとって最適解のはずだから、と自分に言い聞かせた。

本当は次男も

次男も、長男と同様に、機械関連が好きだった。

登校拒否の時期でも、技術の授業がある日は登校していたこともあった。

本当は、次男にも進学を希望した高専があった。

次男も「自宅から離れた学校に進学したい」と言っていた。

今までの自分の生活を切り捨てて、新天地に行きたがっていた。

次男の為に、遠方の高専までオープンキャンパスに出かけたりした。

出来ることなら、私も次男の希望を叶えてやりたかった。

しかし、当時の次男は、心身があまりにも不安定で、県外での寮生活に耐えられそうになかった。

しかも、中学での出席日数があまりに少なく、成績も想定外に良くなくて、高専の受験は絶望的だった。

そして、悩んだ結果、次男は地元の通信制の高校に進学をしたのだった。

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