次男が不登校になってから、ずっとずっと辛かった。
精神面で追い詰められて、心が休まらない。
ポジティブ思考な私だけど、さすがにきつかった。
いつになったら、この苦しみから解放されるのかと毎日思った。
「鬱」という単語が頭から離れなくなったりした。
ネットで、不登校について検索する毎日。
そこで、新たな発見があった。
子供が不登校になった時に親が思うこと
子供が不登校になると、当然だけど親も大きなショックと影響を受ける。
子供のことがとにかく心配で、将来も心配で。
進学はできるのか、卒業できるのか、就職できるのか、人並みに生活ができるようになるのか。
きちんと自立してくれるのか。
世間体まで心配になる。
周囲に何て思われるんだろうか。
自分と配偶者の親族から何を言われるのか。
不登校の原因を追究されて、それも親の責任にされるのか。
知人や親族の優秀な子が羨ましくなったり。
でも、そんな考え方は何もプラスにならなかった。
少なくとも私には。
まずは親がポジティブであるべき
「不登校の親こそ、自分が元気に明るく好きなように生きるべきだ」
と某youtube動画で聞いて、目から鱗が落ちる気持ちだった。
考えたこともなかった。
次男が不登校になってから、自宅では私自身が暗く沈んでいたように思う。
母親が自宅で暗い顔をしていたら、家族は確かに嫌だろうな、と改めて思った。
次男が不登校だから、自分も辛さを分かち合って一緒にいるべきだと思っていた。
でも、何年も不登校の次男と一緒に過ごしてきたけど、なかなか改善しなかった。
そこで・・・
某youtube動画の言葉で一念発起して、自分が好きなことをしてみようと思った。
1人でフラッと外出してもいい。
映画とか見に行ってもいい。
自分だけの為に時間を使う。
自分が楽しくなる為の時間をつくる。
気楽に外に1人で出て、自分が好きなことをしていたら、やっぱり新鮮で刺激があって元気になれる。
その間、子供だって自宅で自由に過ごす。
最初は、子供を1人で自宅に置いていくことに、心配も罪悪感もあった。
でも、割り切ることにした。
食事だって、中学生や高校生なら、ある程度は自分で準備できる。
お腹がすいたら、食事ぐらい自分で何とかしてくれるはず。
親にも子にも、色んな選択肢がある。
そして、子供が辛いからって、親まで辛くなる必要はないという考えに辿り着いた。
自分が明るく元気になれば、次男を明るい方向に引っ張ってやれるんじゃないかと思った。

第三者の気持ちで
母親の立場だと、どうしても子供との距離が近くなる。
自分のことより子供のことを中心に考えてしまう。
当然だと思う。
だけど、ずっとそのままでは、子供が自立しないと思い知った。
不登校で辛い気持ちの子供に寄り添うのは大切。
でも、いつか自立してもらう。

そこで、第三者の気持ちでいようと思った。
次男との間に、少しだけ壁を作る感覚で。
少しだけ強気で。
そうしたら、客観的な見え方ができてきた。
次男が私に何を求めているのか、どうしてほしいのか。
次男は、どんな会話をしたいのか。
私自身が、次男にどのような生き方をしてほしいのか。
それから私は、明るく元気に、近すぎず遠すぎず、次男と簡潔に会話をするようにした。
そして、次男に色んなことを頼ることにした。
私がしんどい時は、雑用等を頼む。
私に悲しいことや辛いことがあった時、少しだけ話を聞いてもらう。
少しずつ範囲を広げて、次男のさまざまな可動範囲を広げた。
その結果、本当に少しずつだけど、次男は前向きになってきた。
不安定な時期は、まだまだある。
まだまだ、まだまだつらい。
それでも、少しずつ次男はポジティブになってきた。
少しだけ出口が見えてきた気がした。
これは、つい最近のこと。
この考え方に辿り着くまで、本当に長かった。

コメント
ずーっと拝読してます。
いつも胸がギュッとなりながら。
同じ想いを抱えている人たちにこのブログが届きますように!
えりさん、いつもありがとうございます。まだ道半ばですが、いつか「あの時は大変だったね」と笑って過ごせる日が来ますように🙏🍀*゜