腸閉塞になりまして①

雑記

子供の頃から丈夫な私。

手術をしたのは、大人になってからの帝王切開と子宮筋腫の手術のみ。

そんな私が、ある日の早朝、猛烈な腹痛に襲われた。

耐えきれず、自ら救急車を呼んで、病院に緊急搬送された。

検査結果は、腸閉塞。

緊急手術が決まった。

しかし、手術の同意書にサインする大人がいない(だってシングルマザーだもん)。

しかも、手術室が満室で、痛みに悶え苦しみつつ、手術開始まで8時間も待つことに(過酷だった)。

もうネタとしか思えない出来事だった。

病気はある朝突然に・・・

2024年7月某日の早朝4時頃、私は異様な感覚で目覚めた。

それは、今までに感じたことのない腹部の違和感。

熱い石がお腹に入っているような感覚。

「なんだこれ???」というのが率直な感想。

トイレに行ってみたが、全く治らず。

そのうちに、腹部の違和感は激しい腹痛に変わった。

腸をわしづかみにされるような、今までに感じたことのないような激痛。

本当に転がりまわって悶え苦しんだ。

食あたりではなく、虫垂炎でもない…それ以上は激痛で考えられなかった。

日頃から、割と我慢強い私ですが、朝6時まで2時間ほど耐えて、もう限界だと悟り、救急車を呼ぶことを決意。

当時、次男と2人暮らしだった私。

次男の部屋まで必死で這っていき

「お腹がものすごく痛い!!もう限界だから救急車を呼ぶよー!!」

と叫んで伝えた。

普段は寝起きが悪い次男だが、びっくり仰天して飛び起きてきた。

・・・すまない次男。

実は、次男は、私が呼びかける直前に、変な予兆で目が覚めていたそうです・・・凄いな。

それから、何とか貴重品等を準備して、パジャマから普段着に着替えて、救急車を呼んだ。

入院用の荷物までは、激痛の為、とてもじゃないが準備できなかった。

約10分後に救急車が到着。

我が家は賃貸マンションの3階で、エレベーターにはストレッチャーが入らず、階段を必死に歩いて降りて救急車へ。

勿論すっぴんw・・・痛みでそれどころじゃない。

救急隊員の方から「付添はいないんですか!?」と聞かれたが、我が家はひとり親家庭。

長男は遠方で寮生活中。

同居中の次男はテスト中だし、付添は無理だな。

そこで「私だけで行きます」と救急隊員伝えたら・・・

救急隊員の人が「えっ!?」と軽くビックリしていたw

仕方ないじゃん、我が家はこういう家庭環境なんだよ。

腸閉塞と判断されたけど

地元の大きい総合病院への受け入れが決まり、救急車が走り出した。

あまりの激痛に、私は「痛い痛い痛い!!!!」と、ずーっと叫びっぱなし。

今までの人生で、こんなに人前で騒いだことがあっただろうかと思うほど騒いだ。

帝王切開後の痛みが人生で最強の痛みだと思っていたが、その痛みを軽く超えてきた。

病院に到着すると、すぐに検査が始まった。

検査待ちの時間にも痛みは酷くなる一方で、耐えかねた私は

「お願いですから鎮痛剤を入れてください!!」

と周囲の先生や看護師さん達に訴えた。

が、「まだ検査中で、原因が分からないから薬を使えない」と却下された(泣

頭では納得出来ていたが、それでも痛いものは痛い。

救急外来の処置室でも「痛い痛い!!」と騒いでいた私。

しかし、周囲からはスルーされる。

必死で耐えていると、先生が来て

「腸閉塞です!緊急手術をします!手術の同意書にサインをしてくれる人はいますか!?」

と私に言った。

その時の気持ちは・・・絶望(´;ω;`)ウッ…

子供達は未成年だから、サインは無理だよなぁ。

シングルマザーの私は、そこで離婚したことをちょっとだけ後悔した。

同意書のサインがないと手術が受けられないんかーい(´;ω;`)ウゥゥ

そこで、痛みに耐えながら遠方に住む母に電話をした。

母はびっくり仰天していたが、すぐに病院に行くと言ってくれた。

でも、急いでも車で1時間半かかる距離。

それまで耐えなくちゃいけないのか、この痛みに。

その頃には鎮痛剤を投与されたが、あまりの激痛にほとんど効かなかったのを覚えている。

約2時間後、母が叔父と一緒に到着して、同意書にサインしてくれた。

ありがとう、お母さん。高齢なのにごめんなさい。

これで手術を受けられる・・・そう思った直後、先生から

「すみません。手術室が使用中だから、お昼頃まで待ってください」

と言われて、私は2度目の絶望を感じることとなった(´;ω;`)ウゥゥ

既に痛みに耐えて6時間経過。

どこまで痛みに耐えればいいんじゃい!?

そう素直に思った53歳の夏でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました