子供の頃から丈夫な私。
手術をしたのは、大人になってからの帝王切開と子宮筋腫の手術のみ。
そんな私が、ある日の早朝、猛烈な腹痛に襲われた。
耐えきれず、自ら救急車を呼んで、病院に緊急搬送された。
検査結果は、腸閉塞。
緊急手術が決まった。
しかし、手術の同意書にサインする大人がいない(だってシングルマザーだもん)。
しかも、手術室が満室で、痛みに悶え苦しみつつ、手術開始まで8時間も待つことに(過酷だった)。
もうネタとしか思えない出来事だった。
病気はある朝突然に・・・
2024年7月某日の早朝4時頃、私は異様な感覚で目覚めた。
それは、今までに感じたことのない腹部の違和感。
熱い石がお腹に入っているような感覚。
「なんだこれ???」というのが率直な感想。
トイレに行ってみたが、全く治らず。
そのうちに、腹部の違和感は激しい腹痛に変わった。
腸をわしづかみにされるような、今までに感じたことのないような激痛。
本当に転がりまわって悶え苦しんだ。

食あたりではなく、虫垂炎でもない…それ以上は激痛で考えられなかった。
日頃から、割と我慢強い私ですが、朝6時まで2時間ほど耐えて、もう限界だと悟り、救急車を呼ぶことを決意。
当時、次男と2人暮らしだった私。
次男の部屋まで必死で這っていき
「お腹がものすごく痛い!!もう限界だから救急車を呼ぶよー!!」
と叫んで伝えた。
普段は寝起きが悪い次男だが、びっくり仰天して飛び起きてきた。
・・・すまない次男。
実は、次男は、私が呼びかける直前に、変な予兆で目が覚めていたそうです・・・凄いな。
それから、何とか貴重品等を準備して、パジャマから普段着に着替えて、救急車を呼んだ。
入院用の荷物までは、激痛の為、とてもじゃないが準備できなかった。
約10分後に救急車が到着。
我が家は賃貸マンションの3階で、エレベーターにはストレッチャーが入らず、階段を必死に歩いて降りて救急車へ。
勿論すっぴんw・・・痛みでそれどころじゃない。
救急隊員の方から「付添はいないんですか!?」と聞かれたが、我が家はひとり親家庭。
長男は遠方で寮生活中。
同居中の次男はテスト中だし、付添は無理だな。
そこで「私だけで行きます」と救急隊員伝えたら・・・
救急隊員の人が「えっ!?」と軽くビックリしていたw
仕方ないじゃん、我が家はこういう家庭環境なんだよ。

腸閉塞と判断されたけど
地元の大きい総合病院への受け入れが決まり、救急車が走り出した。
あまりの激痛に、私は「痛い痛い痛い!!!!」と、ずーっと叫びっぱなし。
今までの人生で、こんなに人前で騒いだことがあっただろうかと思うほど騒いだ。
帝王切開後の痛みが人生で最強の痛みだと思っていたが、その痛みを軽く超えてきた。

病院に到着すると、すぐに検査が始まった。
検査待ちの時間にも痛みは酷くなる一方で、耐えかねた私は
「お願いですから鎮痛剤を入れてください!!」
と周囲の先生や看護師さん達に訴えた。
が、「まだ検査中で、原因が分からないから薬を使えない」と却下された(泣
頭では納得出来ていたが、それでも痛いものは痛い。
救急外来の処置室でも「痛い痛い!!」と騒いでいた私。
しかし、周囲からはスルーされる。
必死で耐えていると、先生が来て
「腸閉塞です!緊急手術をします!手術の同意書にサインをしてくれる人はいますか!?」
と私に言った。
その時の気持ちは・・・絶望(´;ω;`)ウッ…
子供達は未成年だから、サインは無理だよなぁ。
シングルマザーの私は、そこで離婚したことをちょっとだけ後悔した。
同意書のサインがないと手術が受けられないんかーい(´;ω;`)ウゥゥ
そこで、痛みに耐えながら遠方に住む母に電話をした。
母はびっくり仰天していたが、すぐに病院に行くと言ってくれた。
でも、急いでも車で1時間半かかる距離。
それまで耐えなくちゃいけないのか、この痛みに。
その頃には鎮痛剤を投与されたが、あまりの激痛にほとんど効かなかったのを覚えている。
約2時間後、母が叔父と一緒に到着して、同意書にサインしてくれた。
ありがとう、お母さん。高齢なのにごめんなさい。
これで手術を受けられる・・・そう思った直後、先生から
「すみません。手術室が使用中だから、お昼頃まで待ってください」
と言われて、私は2度目の絶望を感じることとなった(´;ω;`)ウゥゥ
既に痛みに耐えて6時間経過。
どこまで痛みに耐えればいいんじゃい!?
そう素直に思った53歳の夏でした。
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