次男が不登校になりまして㉝

不登校関連

次男が不登校になってしまった当時。

不登校に関する知識も何もなく、ただただ動揺するばかりだった私。

次男のことが心配で心配でたまらなかった。

そして、同時に私の前に現れたのは、世間体という名の魔物だった。

世間体なんて

今なら思える

「世間体なんて大したことない」

と。

でも、次男の不登校が始まってすぐの当時は、私は酷く怯えていたと思う。

学校では、何と思われるんだろうか。

同級生達から、何と言われるんだろうか。

親族から、何と言われるんだろうか。

(元)夫から、どんな風に怒鳴られるんだろうか。

今考えると、ものすごく狭い世界に生きていたように思う。

人の目が普段以上に気になり、とても怖くなった時期だった。

それでも、生きていかねばならなかった、子供達を守りながら。

「どうしよう、どうしたらいい」

と思いながら悩みながら、普通を装いながら、必死で生きていた。

鬱に気を付けてください、と言われ

元々のメンタルは強めだったと思うけど、何かと落ち込むことが多かった私。

次男の不登校の件では、地の底まで落ち込んだように思う。

辛かった。

毎日、空が灰色に見えた。

頭の中にモヤがかかっているように感じた。

子供達の笑顔が歪んで見えたこともあった。

胃がキリキリして、食欲減退。

眠りも浅くなった。

家庭内で諍いが絶えなくなり、離婚話が勃発してしまった。

・・・挙句の果てに、次男の担任との個別懇談では

「いじめが原因で無理心中した親子の気持ちが分かります」

と言ってしまい、担任を慌てさせたこともあった。

世の中の不登校の母親たちは、どうやって生活しているんだろう、と思っていた。

次男が通うカウンセリングや心療内科で

「お母さんが鬱になることが多いから、気を付けてくださいね」

と言われた。

そうだろうなぁ、鬱にもなるよなぁ、こんな生活。

そんな時期をカウンセリングで話を聞いてもらったり、家庭の事情を知っている地元の友人達に話を聞いてもらったりして、何とか乗り越えられたと思う。

カウンセリングの先生、友人達に感謝。

負けられない

それでも、我ながら母は強いと思った。

「不登校の親になるなんて、ある意味、人生経験になるだろう」

「人と違う生き方をするのも悪くないはず」

…そんな風に、ポジティブ思考に切り替えた。

負けていられなかった、どんなことにも。

子供達と生きていかなくちゃいけない。

しかも、楽しく生きていきたい。

落ち込んでばかりはいられなかったのだ。

ただただ前進あるのみ。

後ろを振り向く暇なんてない。

辛いことってある

生きている限り、辛い事ってある。

これは悲しいけれど、事実であり現実。

でも、辛い思いをすればするほど、人は優しくなるし、器が大きくなる。

私には、長男が高専に入学してから知り合った、保護者同士の大切な友人がいる。

遠方に住んでいて、普段は会えないけれど、LINEで会話をしている彼女。

彼女は、次男の不登校のことを知っていて、いつも心配してくれている。

彼女は、次男のことを

「本当にいい子で、優しい子だからこそ傷つきやすいんだと思う。

 絶対に何かのきっかけで立ち上がって進んで行ってくれる。」

と言ってくれた。

泣けるほどに嬉しかった。

彼女は優しくて強い、素晴らしい人格者で、私は心から尊敬している。

でも、彼女の優しさと強さは、持って生まれた天性のものに加えて、彼女が戦ってきた証でもある。

辛いことと対峙して、一生懸命に生きてきたからこそ、彼女の為人(ひととなり)がある。

賞賛に値するほどに。

彼女は、どんなに辛いことがあっても逃げなかった。

そして、今も泣きながら戦っている。

私も逃げずに戦い続けたいと思っている。

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