現在、次男は通信制高校に在籍しています。
いつも明るく優しく穏やかだった次男は、小学校5年の秋に、急に学校に行けなくなりました。
不登校生活のスタートでした。
それから、小学校、中学校を経て、辛い辛い時期を経験してきました。

次男が不登校になってから、毎日毎日、朝が来るのが嫌だった。
それは、次男を起こさなくてはならなかったから。
そして、近所の子供達が、楽しそうに登校する姿を見るのが辛かったから。
次男の不登校がきっかけとなり、家族内でトラブルが多発。
あまりに辛いことが続いて、次男への愛情が枯渇する時期もありました。
逃げ出したい時もあり、毎日がストレス満載でどうにも苦しい時期が続きました。
そして、不登校になってから、自室で泣いてばかりだった次男でしたが・・・
中学に入学後、反抗期や思春期も相まったのか、言動や態度が威嚇的になりました。
そして、私や兄弟に暴力をふるったり、壁を殴って壊したりしました。
あんなに優しかった次男が、鬼のような形相で殴りかかってきたことは、人生で一番の恐怖でした。
次男もまた、言葉にできないぐらい辛い思いをして、必死に生きてきたと思います。
自傷行為もあり、次男の腕には、大きな傷跡がいくつも残っています。
不登校が始まってから6年がたった今、不安定な時があるものの、次男は明るさを取り戻しつつあります。
将来の進路についても、話し合えるようになってきました。
ここまで、長い長い道のりでした。
まだまだ、これからも辛い時期が続くとは思います。
次男が自立するまでの道半ばではありますが、私達親子の経験が、何かのお役に立つかもしれないと思い、ブログという場所で記録に残すことにしました。

不登校は突然始まった
小学校5年の秋。
運動会の前日でした。
大声で泣きながら、学校から帰宅した次男は、自分のベッドに潜り込んで
「学校なんか大嫌いだ!!もう行かない!!」
と大号泣。
それまで、問題なく学校生活を送っていると思っていた私は、大きな衝撃を受けました。
何とか理由を聞き出そうとしましたが、その日、次男はただただ泣くだけで、何も話してくれませんでした。
翌日に開催された運動会は欠席。
早朝から頑張って作ったお弁当は、自宅で食べることになりました。
それから、登校できたり登校できなかったりを繰り返す、長い長い日々を送ることになったのです。
不登校の原因
不登校の原因は、次男自身のHSPと呼ばれる性格が災いした部分が大きかったと思います。
非常に傷付きやすく、常に周囲を気遣って、自分よりも周囲を優先。
変に細かいところが気になる。
無理して笑っていたり、無理して何でも引き受けてしまったり。
その結果、周囲に振り回され、からかわれ、いじめられ、辛くなったのだと思います。
あまり公言したくはありませんが、離婚した元夫からは、子供達が幼い頃から暴言や暴力がありました。
これが、次男の人生に大きな影響を与えたことも確かです。
本当に後悔しかありません。
情けないことに、次男から「学校に行きたくない」と訴えられるまで、私は色んな現実に全く気付いていませんでした。
まさに青天の霹靂だったのです。

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