次男が不登校になりまして①

不登校関連

現在、次男は通信制高校に在籍しています。

いつも明るく優しく穏やかだった次男は、小学校5年の秋に、急に学校に行けなくなりました。

不登校生活のスタートでした。

それから、小学校、中学校を経て、辛い辛い時期を経験してきました。

次男が不登校になってから、毎日毎日、朝が来るのが嫌だった。

それは、次男を起こさなくてはならなかったから。

そして、近所の子供達が、楽しそうに登校する姿を見るのが辛かったから。

次男の不登校がきっかけとなり、家族内でトラブルが多発。

あまりに辛いことが続いて、次男への愛情が枯渇する時期もありました。

逃げ出したい時もあり、毎日がストレス満載でどうにも苦しい時期が続きました。

そして、不登校になってから、自室で泣いてばかりだった次男でしたが・・・

中学に入学後、反抗期や思春期も相まったのか、言動や態度が威嚇的になりました。

そして、私や兄弟に暴力をふるったり、壁を殴って壊したりしました。

あんなに優しかった次男が、鬼のような形相で殴りかかってきたことは、人生で一番の恐怖でした。

次男もまた、言葉にできないぐらい辛い思いをして、必死に生きてきたと思います。

自傷行為もあり、次男の腕には、大きな傷跡がいくつも残っています。

不登校が始まってから6年がたった今、不安定な時があるものの、次男は明るさを取り戻しつつあります。

将来の進路についても、話し合えるようになってきました。

ここまで、長い長い道のりでした。

まだまだ、これからも辛い時期が続くとは思います。

次男が自立するまでの道半ばではありますが、私達親子の経験が、何かのお役に立つかもしれないと思い、ブログという場所で記録に残すことにしました。

不登校は突然始まった

小学校5年の秋。

運動会の前日でした。

大声で泣きながら、学校から帰宅した次男は、自分のベッドに潜り込んで

「学校なんか大嫌いだ!!もう行かない!!」

と大号泣。

それまで、問題なく学校生活を送っていると思っていた私は、大きな衝撃を受けました。

何とか理由を聞き出そうとしましたが、その日、次男はただただ泣くだけで、何も話してくれませんでした。

翌日に開催された運動会は欠席。

早朝から頑張って作ったお弁当は、自宅で食べることになりました。

それから、登校できたり登校できなかったりを繰り返す、長い長い日々を送ることになったのです。

不登校の原因

不登校の原因は、次男自身のHSPと呼ばれる性格が災いした部分が大きかったと思います。

非常に傷付きやすく、常に周囲を気遣って、自分よりも周囲を優先。

変に細かいところが気になる。

無理して笑っていたり、無理して何でも引き受けてしまったり。

その結果、周囲に振り回され、からかわれ、いじめられ、辛くなったのだと思います。

あまり公言したくはありませんが、離婚した元夫からは、子供達が幼い頃から暴言や暴力がありました。

これが、次男の人生に大きな影響を与えたことも確かです。

本当に後悔しかありません。

情けないことに、次男から「学校に行きたくない」と訴えられるまで、私は色んな現実に全く気付いていませんでした。

まさに青天の霹靂だったのです。

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